はじまりは路地裏の小さなラーメンBar
2004年9月、新宿ゴールデン街に、毎週火曜日だけ営業する小さなラーメン屋が誕生した。
店主の生田は、かつて旅行で訪れたニューヨークの活気に惹かれていた。世界中の民族が集まる世界一有名な都市。いろいろな人種の人々と触れ合える最もエキサイティングな街。自分もこんな雰囲気のなかで仕事をしたい、世界を舞台に日本人としてのアイデンティティーを持ったうえで勝負をしたいと感じていた。それには、一番大好きなラーメンしかない!と気がつくのに時間はかからなかった。
この夢を実現させるべく、彼は、独立起業家としてラーメンの世界に飛び込んだ。小さなバーを間借りしたお店ではあったが、食べられるラーメンは本格的。コミュニケーション重視の営業スタイルや、毎週違う味を楽しめる週替わりラーメンは瞬く間に話題になり、いつしか狭い路地裏には行列ができるようになった。
たくさんのお客様に出会い、助けられ、多くの仲間もその独自性に惹かれて集まり始めた。
お客様との交流に新たな試み
インターネットの普及によって、広告や宣伝を、マスメディアに頼らない店が多くなった。自らが情報発信できる機会も増え始める。『凪』もその波に乗り、ブロ グ、ネットラジオやコミュニティサイトをいち早く取り入れた。よりこまやかな情報の交流は、お店とお客様達をつなげていく。
人づくり、物づくりにこだわる 姿勢がメッセージとなって、新たな仲間を巻き込んだ。風のないところに風を起こし、皆で進み続ける『凪』の目指す姿が、少しずつ知れ渡ることになった。
出店への挑戦。ラーメントライアウト優勝!
新宿ゴールデン街ではお客様や仲間が出来た。ラーメンの味に自信もついた。
しかし、 自分たちのお店だけが、まだ無かった。店主・生田はゴールデン街での営業を1年半と決めていた。期限は刻々と迫ってくる。
そんな中、立川のラーメン店集合 施設『ラーメンスクエア』への出店をかけたコンテストがあることを知る。迷いはなかった。自らの運命を切り拓き、自信の味を試そうと『ラーメントライアウ ト』に挑んだ。新提案の豚骨ラーメンで見事優勝を決める。半年間の出店権利を得た。
間借り店舗を卒業、自分達の店開業!
2006年3月に新宿ゴールデン街を卒業。10月には立川ラーメンスクエアへの出店も控えているが、まずは旗艦店を……と物件探しに着手。6月には渋谷に『ラーメン凪』を開業する。
お客様まで巻き込んで、皆で手作りした小さな店。ゴールデン街 時代と同じように、お客様と店側との心理的距離が近い、コミュニケーションを大切にする店ができた。
渋谷では、ゴールデン街時代の週替わりラーメンをさら に進化させ、前代未聞の「365日日替わり麺」も開始した。日替わり麺は2009年3月にいったん休止したが、それまでに1000以上の創作ラーメンを作 り上げた。同年10月にはラーメンスクエアに立川店をスタートさせる。
選びぬかれた有名ラーメン店、計7店舗が競いあって営業するラーメン複合施設であ る。当初は半年のみの予定だったが、好評につきロングラン営業となった。博多風の豚骨ラーメンの専門店として人気を博し、厳しい競争環境の中で自然と味、 商品力、人間力が磨かれる場となった。数度のリニューアルを経て営業を続けるなか、海外進出のカギとなる豚王ラーメンのヒントはここで生まれた。惜しまれ ながらも2010年9月、幕を閉じた。
凪発祥の地に帰還。新宿ゴールデン街店スタート
2008年6月には、古巣のゴールデン街に3店舗目をオープンさせる。当初は立川店で作った豚骨スープを新宿に運び、博多風の豚骨ラーメンを出す予定だった。実際にそうして何度かお客様に豚骨ラーメンをお出しした。ところが正式オー プン直前になって、生田は方針を転換する。「立川で作ったスープを新宿に運んでいるだけじゃ、お客様を驚かすことはできない。」正式オープンは延期。
生田は毎晩ゴールデン街のお店に泊り込み、研究を重ねた。数か月に及ぶ試作を経て、ついに新作の煮干ラーメンを作り上げた。新宿煮干の誕生である。凪の豚骨と 全く違うラーメンでありながら、今ではもう一つの凪のブランドイメージとして語られるまでに成長している。
熱き志が店をつくる
私達は人の温かみや商品の思い入れはいつもアナログだと考えます。これだけはいかなる時代になっても変わりません。個性ある味と人をつなぐ店づくりは一朝一夕にはできないのです。味作りへの弛まない探求が次世代のラーメン戦国時代を突き進む道であると信じています。
それを忘れることなく今日も明日も勇気を持って攻め続ければ、いつしか新しい麺文化を創造して、世界に挑戦する夢も実現できるはず。そのような熱き 志がつくる店でなければならない。常に今もそう考えています。
交流から絆へ 〜東日本大震災復興支援活動〜
2011年3月11日、日本観測史上最大の地震が起こった。東京においても、生活インフラに全 般に多大な影響がでる。止むことのない余震の大きさに国内5店舗の全営業を休止せざるを得ない事態に。
しかしそれよりも現地の津波による被害はあまりにも 甚大で、心が傷んでいた。ひとりの人間として、やるべき行動を自問自答していると、宮城県の知り合いから救援物資SOSの電話が入った。
ネット等を通じ て、広く物資募集を呼びかけ、現地に行く機会を得た。仙台とどけ隊とともに、避難所への物資供給の運搬を支援した。支援活動を通じて、海岸沿いの被害が大きな避難所に物資が供給されにくいこと、自宅避難の方には、物資が満足に供給されていない現実を知る。
「今、何よりも炊き出しを行い、温かい食事で喜んでいただける場所が必要だ。しかも、継続的に。復興のために貢献できる一番の道はこれしかない」飲食業に携わる立場として行動を開始。
店で炊き出しの活動支援金を募り、4月19日より、凪主体で定期的に炊き出しが行える青空屋台を開設した。6月上旬まで、宮城県内のファミリーマート歌津升沢 店を拠点に、周辺の避難所とあわせ、1日あたり800食~1,000食の食事を提供し、現在はトレーラーハウスを被災地に導入し支援活動を続けている。
ご協力、協賛していただいた沢山の皆様に、心より感 謝するしかない。この想いの力、絆が続けられるエネルギーと確信した。この活動を通じて、飲食業の原点と人とのつながりの大切さを、さらに深く、心に刻んだ。
ベンチャースピリットは日本から世界へ
ハイレベルな個性を目指し、楽しいお店作りを追い求め、常に学ぶ姿勢のある集 団でありたい。今後は『凪』の活動とともに、スタッフ独自の名前を冠した店や独創的な味のブランドで店舗展開を加速させます。
一緒に切磋琢磨できる仲間達 と挑戦し続けます。独立起業したときの自発、自立、自燃の精神を忘れずに。国内では、創業から10年で都内山手線全駅に凪の店を出店することを目標に。海 外では中国を足掛りとして世界中の人々に、凪のブランドを喜んでいただけるように。
おかげさまで、海外第一号店の豚王 香港店は大好評です。日本から世界へ。
夢、情熱、想いを形にするのが凪のスピリットです。









